華厳会

目次

華厳会とは

今回は華厳会けごんえについてじゃぞ!

よろしくお願いします!

華厳会けごんえはもともと華厳経けごんきょう』を読誦どくしょう講讃こうさんして国家安泰を祈る仏教行事じゃ。
東大寺とうだいじの華厳会、法華寺ほっけじのひなしきがとりわけ知られておるぞ。

華厳会の起源

東大寺の大仏

華厳会の起源については諸説ありますが、752年(天平勝宝てんぴょうしょうほう4)4月に行われた大仏開眼だいぶつかいげん供養会くようえだという説が有力のようじゃぞ。
この点にはついては『今昔こんじゃく物語集ものがたりしゅう』巻12第7「東大寺にして華厳会を行へる語」にも記述があるぞ。

この場面では、聖武しょうむ天皇(在位724~749、701~756)の命により、儀式の日の早朝にいちばん最初に寺に来た人が誰であろうと構わずその日の読師どくしとなることが決められるんじゃが、そこに一人のおきなが来て読師をつとめることになる。
この翁はさばかごを背負っており、供養会の後、翁はどこかに消えてしまうが、籠だけは残されます。
翁がいないのでもともと鯖が入っていたその籠を見てみると、鯖ではなく、籠には『華厳経』がぎっしり詰まっていた、という説話せつわじゃ。

その後、東大寺の華厳会は平安末期の平氏へいしによる南都なんと焼き打ちで一度は途絶えてしまうぞ。
じゃが、1212年(建暦けんりゃく2)に再興され、このときは華やかな童舞わらわまい、儀式後の猿楽さるがく芸や盛大な延年会えんねんえも催されたんじゃ。
現在の東大寺の華厳会は、毎月15日の『華厳経』の読経どきょう、12月16日に行われる方広会ほごえにおける『華厳経』についての論議などを挙げることができるのぉ。

ひな会式は雛祭りとは異なる

奈良・法華寺

芸能的、民俗的な要素の濃い華厳会としては、奈良の尼寺あまでら、法華寺で行われるひな会式を忘れることはできないぞ。
ひな会式はひなまつりと時期的に近いことから同じ起源だと考えられがちじゃが、それらは本来的に異なる行事とされとる。
ひな会式はもともと『華厳経』を講ずる法会でした。光明こうみょう皇后(聖武天皇の皇后、701~760)が始めたことが起源とされているんじゃ。

元来は、毎年3月、『華厳経』に登場する善財童子ぜんざいどうじを55体用意して供養する行事だったようじゃ。
世間では善財童子を小さな人形である雛に見立てたことによりこの行事を「ひいなの会」と呼び、その後「ひな会式」の名前がつくられたと言われておるぞ。
この行事は一度途絶えるが、光明皇后の1200年の御忌ぎょきにあたる1958年、平安・鎌倉時代と同じかたちで再興され、現在もその童子が飾られておるんじゃ。

ありがとうございます(合掌)

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