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庶民的なほとけとして親しまれてきた観音信仰
庶民的なほとけさま、観音様について教えてください!
フムフム、それでは、まず観音信仰について説明しようかのぅ。
観音信仰は、現当二世の利益を兼ねる最も庶民的なほとけとして人々に親しまれてきたんじゃ。
そのはじまりは、紀元1世紀頃の古代インドにおける仏教信仰からはじまったと考えて良さそうじゃな。
その後、6世紀以後、ヒンドゥー教の影響も受けて密教の色彩の濃い変化観音が次々と登場することになる。
観音菩薩はじつに様々な姿をとることで知られておるが、その多面多臂な姿はこの頃に成立したとされるのぅ。
そして、詳しい時期はよくわからんが、だいたい5世紀前後を境に中国に伝播し、そこで先祖供養、現世利益のほとけとしての地位を確立したとされとる。
日本への伝播
観音信仰の日本への伝播としては、飛鳥時代頃に伝来し、奈良時代には観音造像がたいへん盛んになったんじゃ。
当時の観音信仰は鎮護国家、除災招福が中心じゃったが、10世紀以降の浄土信仰の興隆をうけて、観音信仰においても浄土における救済が説かれるようになる。
天台、真言両宗で、六道の世界に輪廻する衆生を救ってくださる六種の観世音菩薩として六観音信仰が説かれたこと、仏が来迎し極楽浄土に導くために衆生を救いとって下さるという意味の来迎引接の利益が説かれるのもこの時期じゃ。
現当二世の利益を兼ねる観音信仰の成立はこの頃に求めることができるぞ。
この時期は、観音信仰の発達に伴い、じつに多くの霊験説話も流布され庶民にまで普及し、観音講、観音懺法など観音の法会も発達したぞ。
そして、10世紀以降、京都や畿内を中心に観音像を安置する寺院への貴族や民衆の参詣も流行し、観音霊場を拠点に、あるいは巡礼して修行にはげむ修験者も続々と登場したんじゃ。
三十三応現身
観音信仰は『観音経』の影響を最も受けており、これを根拠に様々な姿をとって衆生を救うことが説かれるんじゃが、ここに観音三十三応現身が確立することになるぞ。
観音信仰にちなんだ巡礼が三十三か所を巡るのはこの点に由来するが、畿内周辺の観音霊場三十三所を巡る西国巡礼は、12世紀頃に西国三十三所、13世紀に坂東三十三所、15世紀に秩父三十三所が成立し、この過程で札所の順序なども確立することになる。
その後、近世までには全国に100以上の三十三所がつくられ、民衆にとって最も親しまれるほとけとしての基盤が確立されることになるのじゃ。