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権現とは
今回は権現についてじゃぞ。
ご、ごんげん??
権現とは、仏や菩薩が衆生を救済するために、権に神となって現れることを指すんじゃ。
その淵源は平安時代の中期(10世紀頃)に求められるとされ、ながく日本人の信仰の対象となってきたぞ。
権現の名称としては、その他、化現や権化などがあるぞ。
本地垂迹説
権現については、本地垂迹説を抜きにしては語れんのぅ。
本地垂迹説とは、仏や菩薩は本地、神は垂迹という思想を意味するんじゃ。
すなわち、仏や菩薩は衆生を救うために姿をかえて迹を垂れるものだとする考え方じゃな。これは日本の特殊な神仏観ということができ、我が国における神道と仏教の関係を考えるうえできわめて重要な思想といえるのじゃよ。
権現はこの思想を端的に示すものとして位置付けることができるんじゃな。
権現の主な例
たとえば、天照大神の本地としては大日如来、八幡神の本地としては阿弥陀仏や観音菩薩などがあてられてきたんじゃ。
他方、上述のように神々それぞれに対して仏や菩薩などの本地を設定することもあれば、春日権現や熊野権現、あるいは山王権現などのように権現名で神を呼ぶこともあるんじゃ。
また、神に権現号を付けることもあり、その例としては八幡大権現を挙げることができるぞ。
このように、平安時代以降、多くの神々に対して権現号が付けられてきたんじゃのぉ。
権現号を付すことの盛んな場所として、関東の霊場では、日光の滝尾権現、伊豆箱根の走湯権現、あるいは北陸では白山の白山妙理権現などがあるんじゃい。
また、歴史的人物としては、徳川家康を忘れるわけにはいかんぞ。
豊臣秀吉は本地垂迹説ではなく、神道の優越性を説いた吉田神道の影響により権現号を付されることはなかったが、家康は天海の主張が通り東照大権現を神号とされたんじゃ。
権現の思想が与えた影響
権現の思想は、建築にも大きな影響を及ぼしたといえるのぅ。これは権現造と呼ばれ、仏寺建築の手法を神社建築に取り込んだものを指すんじゃ。
ところで、権現ないし本地垂迹説は、明治政府の行った神仏分離により難しい立場に追いやられた経験があることは見逃せんぞ。
これによりこれまで権現号を名乗っていたところが神社を名乗るようになり、多くの場所で権現の名称が削られていったんじゃ。
この点を踏まえても、権現は日本における神と仏の関係を考えるうえで非常に大切な意味を持つのじゃ。
……(合掌)