檀家

目次

檀家とは

今回は檀家について説明していくぞ!

お檀家様ですね。
いつもお世話になってます。本当にありがたいことです!

そうじゃのぅ。
檀家だんかとは、一般的にはある特定の寺院に属し、その寺院の経営の支援者としての家あるいは家族のことを指すんじゃ。
檀家制度の成立に関しては、古代の氏族しぞく氏寺うじでらとの関係、あるいは中世の武士と菩提寺ぼだいじとの関係にさかのぼって考えることもできるが、基本的には、江戸時代の寺請制度てらうけせいどが直接の起源であると言われておるぞ。
そこで、檀家について説明するにあたって、まず江戸時代の寺請制度についての説明から始めようと思うぞ。

江戸時代の寺請制度

熊本県天草市・﨑津教会
(長崎地方の潜伏キリシタンとして2018年ユネスコの世界遺産に登録。禁教時代に厳しい絵踏みが行われた場所に、現在の祭壇が配置されたと言われている。)

広く知られているように、江戸時代、キリスト教徒は「キリシタン」と呼ばれ、幕府はその信仰を厳しく禁じていたのじゃ。
幕府は人々にキリスト教徒ではないことを証明させるために、仏教徒ぶっきょうと、すなわち檀徒だんとであることを求めたぞ。
その受け手となった寺が「檀那寺だんなでら」(菩提寺ということもあります)であり、庶民はその檀那寺に所属していることを証明することでお寺に「寺請状てらうけじょう」(寺小形ともいいます)という一種の証明書を発行してもらい、それを奉行所ぶぎょうしょに差し出し、仏教徒であることを証明することができたのじゃ。
この制度を総称して寺請制度というのじゃ。

ちなみに、寺請制度は基本的にはキリシタンではないことを証明するための制度というが、同じく当時社会問題化した日蓮宗にちれんしゅう不受不施派ふじゅふせはではないことを証明するためのものとしても機能していたんじゃ。
寺請制度は檀那寺と檀家とを結ぶものであり、基本的には葬祭を媒介とした寺と家との契約関係ともいえるな。

この制度はお寺の経営を支える最も重要なものとなるが、その成立のきっかけとなったのは、1637~38年(寛永かんえい14~15)の島原しまばららんであり、この後、寺請制度は幕府の指導により全国に普及していくぞ。
「お寺を変える」というのは現在でもなかなか難しいものがあるが、その由来は、幕府の法律で18世紀頃から離檀りだんが禁止されたことが現在まで続いていると考えられるぞ。

寺請制度が現在の檀家制度へ

この寺請制度によって、檀那寺は檀家に対して堂塔伽藍どうとうがらんの新築や修復の費用、本山ほんざん等への寄付金、住職やその一家の生活費、課金などの金銭的な負担のほか、檀那寺の行事への参加等も義務付けたのじゃ。
そして、この制度は1871年の宗旨人別帳しゅうしにんべつちょう廃止や1874年のキリシタン禁制の廃止まで生き続けることになり、明治以降も、主に墓地管理や葬祭・法事を通して檀那寺と檀家との関係はほぼ保存されることになるんじゃのぉ。
しかし、現在、広く議論されているように、社会が変化するなかでこの制度にもいくつかの不備が生じるようになり、これが檀那寺と檀家との関係の昨今の様々な問題につながっておると考えられるんじゃな。

!!……(合掌)

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