お彼岸

目次

お彼岸とは

ご住職!そろそろ春彼岸の季節がやってきましたね!

そうじゃのう。
ところでお主は彼岸の由来を知っとるか?

わかりません……教えてください!

フムフム……

お彼岸の名前の由来

彼岸は、「到彼岸とうひがん」という言葉に由来するんじゃ。「到彼岸」とは、サンスクリット語の「パーラミター」(漢字で「波羅蜜はらみつ」)を漢訳したもので、「到彼岸」の彼岸は、迷いのない悟りの境地を意味するぞ。彼岸に対して、私たちが生きている煩悩に満ちた俗世間が此岸しがんじゃ。こちら側(此岸)のワシたちが、あちら側(彼岸)に到るための仏道修行を「到彼岸」というんじゃのう。
 やがて、悟りの世界である彼岸を、死後の安らかな世界である浄土と捉えるようになり、現在のように亡くなったご先祖様に想いを馳せる「お彼岸」が定着していったんじゃぞ。

お彼岸と太陽の関係

彼岸会は春分の日、秋分の日を中日ちゅうにちとして、前後三日ずつ一週間にわたり行われる法会じゃが、この時期に彼岸会を行なう理由は、太陽の動きと関係がある。
 浄土教じょうどきょうでは、極楽浄土ごくらくじょうどは西の方角にあると考えておる。浄土経典の『観無量寿経かんむりょうじゅきょう』には、極楽浄土を想像するための十六の方法が説かれておるが、その一つとして、西に沈む太陽を見て極楽浄土を想う「日想観にっそうかん」という方法があるほどじゃ。ここから太陽が真西に沈む春分・秋分の日に、西方浄土を想像し、ご先祖様を供養する習慣が生まれたんじゃのう。

浄土教が日本に広まった平安時代から、お彼岸も普及し始めるが、とくに大阪の四天王寺してんのうじの西門が極楽浄土の東門と向き合っているという信仰は有名で、お彼岸には、西門から難波の海に沈む太陽を眺め、極楽浄土を想う人々であふれかえったと言われとるんじゃ。

「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、お彼岸はちょうど季節の変わり目。この時期に、太陽とご先祖様に収穫を感謝し、豊作を祈るという意味合いもお彼岸にはあったんじゃ。お彼岸は、他国には見られない日本独自の仏教行事じゃが、農業文化に根ざした太陽信仰とも密接に結びついていたのじゃな。だからこそ、広く民衆に定着したとも言えるのう。

余談じゃが、お彼岸にお供えする「おはぎ」と「ぼたもち」は、同じものじゃ。秋は萩で「おはぎ」、春は牡丹で「ぼたもち」と呼び方が変わるぞ。あずきの赤色が邪気を払うとされ、江戸時代に普及したようじゃ。

!!……(合掌)

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