除夜の鐘

目次

除夜とは

ご住職、そもそも除夜じょやの由来は、どこから来てるんですか?

大晦日おおみそかは別名除日じょじつといい、その夜なので「除夜と言うのじゃよ。
古来より、日本では、ご先祖様はお盆と正月に家に戻ってこられるという信仰があり、大晦日の夜がご先祖様の到着する時とされとった。
そのため、この日だけは夜を明かして宴を催すなど、早く寝ないで過ごす風習が生まれたようじゃな。

浅草・浅草寺の初詣の様子

このように特別な意味合いを持つ除夜には、寺社への参詣さんけいもいつも以上にご利益りやくがあると考えられるようになったのじゃ。
除夜に年をまたいでお参りをすることで二年分のご利益を得るという「二年にねんまいり」といった風習が各地で見られるようになり、現在では、除夜のお参りと初詣はつもうでを兼ねるようになってきたの。

除夜の鐘

除夜のお参りと言えば、除夜の鐘。
寺院では除夜会じょやえという法要を営み、場所を鐘楼しょうろうに移して読経どっきょう。そして、いよいよ除夜の鐘になります。

ふむふむ。そうじゃな。しかしな、除夜の鐘をくタイミングは、大晦日のうちに撞き始めるところもあれば、新年を迎えてからというところもあり、厳密な決まりは無いんじゃよ。

除夜の鐘はなぜ百八回鳴らすのか

観音寺(栃木県芳賀郡益子町)の鐘楼

なるほど。では、なぜ百八回鳴らすんですか?

それはの百八煩悩ひゃくはちぼんのうといって人間の持つ煩悩の数とされとるんじゃ。かつては毎日朝夕二回、百八回も鐘を撞いていたといわれとるが、現在では年に一回に。大晦日の夜、鐘を一回撞くたびに煩悩が一つずつ清められる中で、一年を反省し、心新たに新年を迎えるというわけじゃ。

この百八という数じゃが、根拠は明確ではなく、諸説あるぞ。
人に絡みつき、自由を失わせる十の煩悩(十纏じってん)と、人を束縛し解脱させない九十八の煩悩(九十八結くじゅうはっけつ)を合わせるという説(10+98)は、説明どおり煩悩の数を足したものじゃな。

人が持つ六つの感覚器官(六根ろっこん=眼・耳・鼻・舌・身・意)が、それぞれの対象(六塵ろくじん=色・声・香・味・触・法)に対した時、好・悪・平(好きでも嫌いでもない)の三種の感情が起るのじゃ。
その三種の感情には、染(きたない)・浄(清い)の二種があり、さらに、それらは過去・現在・未来の三世に渡り存在するという説(6×3×2×3)。

六根が六塵に対した時、好・悪・平の三種の感情の他に、苦(苦しい)・楽(楽しい)・捨(苦でも楽でもない)の三種の感情が起る。そして、それぞれの感情は過去・現在・未来の三世に渡り存在するという説((6×3+6×3)×3)。

この二説は、金銭欲や性欲だけが煩悩ではなく、日常起こす様々な感情が煩悩の源であることに気づかせるのじゃ。
また、インドでは数の多いことを示すのに百八という数字を象徴的に使うことが多いことから、ただ単に煩悩の多いことを表すためだけという説もあるのう。
その他に一年の最後に撞くことから、十二月と二十四節気(一年を二十四等分したもの 立春や秋分など)と七十二候(二十四節気をさらに三分割したもの)を足して、一年を意味するとする説もあるぞ。

(合掌)

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